【銀行】このままじゃ、仕事に娘を殺されてしまう。私の娘が死んでしまう。ねぇ、仕事辞めたい?【20代前半】
2015/08/14
職種:銀行業
年齢:20代前半
まだまだ就職難の時代に、正職のそれも銀行となれば「辞めたい」などと思ってもなかなか言えるものではありませんでした。口にしたところで「せっかくの正職を」「せっかくの銀行を」と言われることが目に見えていて、「辞めてどうするの?」と問われてもあてもないため答える言葉もなく、まるで生きながら死んでいくような心地で過ごした時期でした。
入社してすぐの頃は、早く仕事を覚えて役に立とうと懸命に努めていました。けれど、失敗すれば責められ、成功すれば出来て当然と言われ、認められることもなければ褒められることもない職場でした。
銀行は他人の財産のみならず個人情報までも預かる仕事ですから、「出来て当然」にならなければならないことは理解していましたが、あまりにも認められることがなさすぎて、自分がどのくらい仕事を身につけることができたのかの確認さえおぼつかない有様でした。
初めて辞めたいと思ったのは、入社してわずか2ヶ月目のことでした。たった一人だけ、いままで外回りや融資を中心に行ってきたために「内部業務はあまり把握していないから、僕も君と同じ1年生です」と言ってよく声をかけてくださっていた課長が、異動になってしまったことがきっかけでした。代わりにやってきた新しい課長が、とても嫌味の多い人であったことも要因の一つでした。
新入社員には、専属の教育係となる先輩と、精神面のサポート係となる先輩が一人ずつつくのですが、教育係となった先輩はひどく無気力で、何かといっては「私だって忙しいのに」と愚痴をこぼす方でした。
教えてもらったことを実行する際、業務に関する質問をしても、間違いがないか確認をお願いしようとしても、必ず「なんで一回で覚えないの?」「もう忘れちゃったの?」と嫌な顔をされる方でした。業務についての質問も、だんだんと満足にできなくなっていきました。
精神面のサポート係となった先輩を頼って教えていただこうにも、「忙しいから」「ちゃんと教育係の先輩に聞いて」と言われ、決して相手にしては頂けませんでした。
相談も何も、できるわけもありませんでした。相談をしたこともなければ、サポートしていただいたことも一度もありませんでした。
パートとして勤めてらっしゃる方も数人おられましたが、ちゃんとした教育係がついているのに口を出しては悪い、などの気遣いを発揮して、基本お声をかけていただくこともなければ、声をおかけしても先輩方のもとへ誘導されるばかりでした。
基本、パートの方はOGが多く、「私のほうが先輩よ」と言い切る勝気な方もいらっしゃって、その方お一人だけは質問に答えてくださっていたのですが、教育係の先輩よりこの方に教えていただくことが増えたせいか上司の目にとまってしまい、上司に嫌味を言われた先輩とパートの方で喧嘩になってしまいました。
パートの方々が仲裁に入り、新人は教育係に任せパートは口出ししないという約束事が出来てしまい、また私は孤立することとなりました。そして、火種の原因として倦厭される立場ともなったのです。
辞めたいけれど、辞めても次の就職先のあてなどないし、また正職に就けるとも限りません。決断できないまま、「辞めたい」「でもどうしよう」と諦めと惰性でもってズルズルと勤めていました。
もし一言「辞めたい」と口にしてしまえば、もう駄目になってしまうという確信があり、たとえ愚痴でも、間違っても口にすることができませんでした。この頃、自覚できないまま食が細り、体重が減り、睡眠時間がじりじりと減っていっていたようです。
もう駄目だ、無理だと思った出来事がありました。ATMの使い方がよくわからないというお客様がおり、ご案内差し上げるようフロアに出された後のことでした。
わかりやすく、丁寧にお伝えしようと努力し、お一人だけではなく複数の方々のご案内を終えてカウンター内へ戻ると、「いつまで暇つぶしてるの。くだらないことに時間をかけないで」と、そう言われたのです。
お客様の応対は、当時最も楽しく救われた心地のする時間でした。心を砕いて丁寧に応対することで、お客様から頂く「ありがとう」は涙が出るほどうれしく、それだけが仕事の支えだったのです。
そもそも、お客様あっての仕事であると、お客様第一と掲げているにもかかわらず、なんということを言うのかと驚きましたし、近くで聞いていた上司からはもちろんお叱りを受けるものと思っていましたのに、上司は素知らぬ顔をするばかりで一言の注意もありませんでした。
耐え切れなくなり、帰宅してから気力を振り絞ってやっとのことで一言「辞めたいのだけど」と切り出しました。それを聞いた母は奇妙な顔をして、「辞めてどうするの?」と言いました。何も言い返すこともできず、さらに言い募ることもできず、「なんでもない」としか言えませんでした。
私はいったい何をやっているのだろう。何のために仕事をしているのだろう。何のために生きているのだろう。苦しさばかりが増していきました。
頻繁にお顔を出して下さり、ささいな挨拶にも嬉しそうに笑って応えてくださるお客様がいました。先輩も、パートの方々も、「用もないのに毎日来て」「どうせ小金しか預けないくせに」と言いました。
丁寧に、わかりやすくと心がけてご案内したお客様が、「ありがとうな。来月また振込あるから、また来るよ。またあんたに頼むよ」と笑って帰られたあと、「うちの口座宛じゃないでしょ」「あの身なりからしてたいした額じゃないでしょ」と失笑しながら言うのです。
お客様に申し訳ないやら、情けないなら、悔しいやら。けれど自分はこの中で一番の役たたずで、反論すれば「生意気な」と謗られ、「満足に仕事もできないくせに」と詰られました。
どうしようもないのかと、お客様を大切にしたいと思うのは間違いなのかと、諦めや悲しさ、答えの出ない疑問でぐるぐると惑い、自分はいったい何をやっているのだろう、何のために生きているのだろうという無力感が常につきまとっていました。
毎日毎日をそうして繰り返していくうちに、悲しさも諦めも、無力感すらも摩耗して、どんどん薄れて何も感じなくなっていきました。自分が空っぽになっていくのを、もはや他人事のように現実感もなく、うすぼんやりと眺めていました。
惰性で黙々と出勤し、勤務し、帰宅し、それ以外の時間はただただ部屋にこもってぼんやりとしていました。何にも興味を持てず、楽しいこともなく、悲しいこともなく、何かを感じるということも、何かを思うこともほとんどなくなっていました。
ただただぼんやりと、生きながら死んでいく日々でした。自分の心をひたすら殺していく日々でした。人間ではなく、歯車になるべく死んでいく日々でした。
入社して半年が経ったある日、帰宅すると玄関に母が立っていました。習慣でぼんやりと「ただいま」と言うと、「おかえり」といった母が深く息を吸い込みました。この瞬間のことは、今でもよく覚えています。
「あんた、仕事辞めたい?」
一瞬息が詰まりましたが、私は何も言えませんでした。その間に母は、私の食事量が極端に減っていること、夜に部屋をのぞくとぼんやりと座っていること、顔色が青白くてあまりよくないこと、痩せてやつれて体重もひどく減っているであろうことを、ポツリポツリと語りました。
「このままじゃ、仕事に娘を殺されてしまう。私の娘が死んでしまう。ねぇ、仕事辞めたい?」
ようやく吸い込んだ息が、全部涙になって出てきたように思いました。ボロボロと泣きながら、「辞めたい」「辞めていいの?」とボソボソ呟いて、母も泣きながら「いいよ」「元気になってくれればそれでいいよ」「お医者行こう」「診断書もらってこよう」「よくがんばったね」「無理させてごめんね」と言って抱きしめてくれました。久しぶりに自分の意思というものが思い出されたときでした。
この後すぐに病院に行き、過労と重度のノイローゼとの診断を受け、診断書と退職願を提出しました。対応してくださった人事の方の配慮により、即日二週間の有給休職期間を経ての退職となり、一度退職手続きで職場に顔を出す機会はありましたが、何か糾弾されるといったこともなくスムーズに退職することができました。
自覚は全くありませんでしたが、食物を口にすれば例外なく嘔吐し、うつ状態や睡眠障害、栄養失調などの症状が様々あり、医師の目から見ても相当にひどい状態であったそうです。
症状を説明するどころか、問診を聞き取ることも理解することもできていない状態で、付き添いの母から事情を聞いた医師の方がかなり明確に、仕事が原因とされる各種症状の診断書という形式で書いてくださったために、即日休職期間を経ての退職という迅速かつ丁重な対応をしていただけたようです。
のちのち落ち着いてから思ったのは、当時本当にまともな思考能力が残っていなかったという事実です。嫌だ、とぼんやり感じることはあっても、何が嫌なのか、なぜ嫌だと思うのかがわからないままでした。
人を人と思わない、心のない対応が当然とされることが一番、本当に嫌だったのだと今ならはっきり言うことができます。それが行員であれ、お客様であれ、人を人と思う、あたたかみや思いやりといった心のやり取りすべてを無駄と切り捨ててしまうそのあり方が、本当に嫌でした。
お客様へ向けた心遣いを無駄と言われること、お客様からいただいた「ありがとう」を無価値とされること、それらすべてが受け入れることのできないものでした。
相手を見下し、甚振ろうとする意図でもって言われた言葉や態度も多く見聞きしました。そういう「人でなし」にいつか自分もなってしまうかもしれないことが嫌でしたし、どうしても私は「人間」であり続けたかったのです。
誰がやっても同じようにできる仕事でも、「私」だからこその心でもって、特別に思っていただけるような仕事がしたかったのだと、あとから気づきました。
身につけた技術、教え込まれた金銭や情報を預かる者としての心構えは現在でも非常に役に立っていますが、人間はいらない、心もいらないし個なんてあるだけ無駄なんていう仕事はもう絶対にしたくありません。
おかげで現在は同僚やお客様との間にちょっとした感謝の一言も欠かすことはありませんし、心も体も健康にいられる大切さがしみじみと感じられます。本当、もう二度と自分が死んでいくようなあの感覚は味わいたくないものです。
あなたはこの人の仕事を辞めた理由、辞めたい理由をどう思いますか?率直なご意見を是非お聞かせください。気軽にコメントを書き込んで頂けると幸いです。
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Comment
泣いてしまいました。
私もいまとても悩んでいます。
私も辞めたい
毎日めまいと吐き気と下痢で体力的にツライ
消えたい、、
でも父親が激怒して、それはただ弱いだけと言って許してくれない、生き地獄
どうしたらいいかわからない
涙が止まりませんでした。
職場は選べるのだと、自分で選ぶのだと
当たり前のことを忘れていた気がします。
目頭が熱くなりました。現行員です。
私も退職を考えている所で、主様のお気持ちが痛いほど伝わってまいりました。
全く同じ立場ではないかもしれませんが…。
事務職に就いていたある日、他行員の転勤により突然外回りを命じられ、
右も左も分からぬまま外回りを行っているうちに、中途半端な知識でリスク性商品を売り歩く自分に嫌気がさしてしまい、それでも役に立つ商品を…よかったと言ってもらえる取引を…と思っているうちにギャップに打ちのめされてしまい、自分には荷が重いと、お客様にも会社の期待にも答えられないダメな行員だと思うようになりました。
自分が辛くても、お客様あっての私たち、少しでもお客様のお役に立ちたい、その心を忘れないでいたい気持ち、とても共感しました。
この気持ちに、仕事が出来る出来ないは関係ないはずなのに、周囲の人間の心持ちによっては否定をされてしまうのが読んでいて悔しかったです。辛かったですね。
嫌だとぼんやり感じることはあっても、何が嫌なのかはっきり分からない。
きちんと伝えられないのは甘えているからだ真面目に働かなくては正社員で行員なのだからと思考の闇ですよね…。
銀行という職場は、皆様のお金を取り扱う生活のライフライン的な職業であるがため、お人柄によっては必要以上に自分自身を追い込んでしまいがちなのかもしれませんね。
自分自身を追い込むことを美談には出来かねる部分はありますが、
逆をいえば、それだけ仕事に真摯に、お客様に真摯に接したかった結果なのです。
それが今のキャパシティに合わなかった、環境が許さなかった、理由はいくらでも考えられますが、そんな気持ちで仕事に臨んでいた、接客業の鏡です。
しかし、そこそこ銀行におりますが、
図太く逞しく続けている方は、仕事もできますし、人間関係も確固たるものを築いているように見えますが(主に御局的な位置)、
裏では、お客様やその場にいない行員の陰口をよく叩いております。
いくら仕事が出来ても残念な人種だなと冷ややかな目を送っております。
会社的には、人間性がクズでも仕事ができる人材がいいのでしょう。
社内が淀んだ空気でも、仕事が回ればそれでいいのでしょう。
しかしこれから長く人生を送る上で、
そんな会社の都合に振り回されてやる必要は少しもないのです。全く持ってないのです。
お母様が主様にお伝えされた一言にとても愛を感じました。
大変素晴らしいお母様でいらっしゃいますね。
主様は今は人間味のある職場で働かれているように文末でお見受けしました。
大変な職場で働かれたぶん、あたたかい日々を送られて下さいね。
長くなってしまい申し訳ございません。
ただの通りすがりなのですが、
今の自分と重ねてしまい、熱くなってしまいました。
主様の感じるところと違う箇所がありましたら申し訳ございません。
乱文失礼致しました。